


娘の結婚式で、こんなに幸せな気持ちにさせてもらった。
あのときの想いと写真を、なくしたくなかった。
ついでに、押し入れで眠っていた写真も、
少しずつ、ここに残していくことにする。
1964年生まれ 東京・町田 43年勤めた会社を今年の春に辞めた
1964 – 19820歳から18歳まで
生まれたのは、東京オリンピックの年だと聞かされて育った。
このころは、まだ町田に田んぼがあった。

母に抱かれて
いちばん古い一枚。この写真の話になると、母はいまでも同じことを言う。

8歳の夏
学校から帰ると、網を持って暗くなるまで外にいた。セミは、ほとんど捕れなかった。
「あんたは、よく泣く子だった」
母から。何度目か分からない
小学2年の運動会
かけっこは、いつもまん中あたり。それで満足していた。

父と、自転車の練習
後ろを持っていてくれると思ったら、とっくに手を離していた。 転んで泣いたら、「泣くな。もう一回だ」とだけ言われた。
子どものころの写真(全9枚)




古い写真も、アルバムを開いてスマホで撮ったものでかまいません。
1964年〜1983 – 199319歳から29歳まで
寮と、工場と、休みの日
🔒 このページは、家族だけが見られます
いちばんよく覚えているのは、この十年だ。
毎日おなじことをしていたはずなのに、なぜか一日ずつ思い出せる。

独身寮の部屋
四畳半。風呂は共同。それで十分だった。 隣の音が丸聞こえで、誰が何時に帰ったかまで分かった。

はじめての給料で買ったもの
三か月分ためて買った。ラジオから流れた曲を、そのまま録って何度も聴いた。

休みの日の喫茶店
することがないと、駅前の店で二時間ねばった。あの時間があったから、続いたのかもしれない。
このままここにいていいのか、と思った時期がある。
同級生が東京に出ていくのを、何度か見送った。
結局、辞めなかった。それだけの話だ。

妻と会った日
工場の夏祭りだった。話しかけたのは、たしか自分からだ。 帰り道の匂いだけ、はっきり残っている。

付き合いはじめたころ
写真の中の二人は、まだ少し離れて立っている。このあと、ずっと隣にいることになる。
「まじめそうな人だと思った」
ずっとあとで、妻からそのころのこと(写真は、ない)
198521歳
寮の誰かがファミコンを買ってきて、スーパーマリオばかりやっていた。順番待ちで、一人30分と決めた。 わたしは下手で、いつも早く終わった。それでも毎晩、あの部屋に集まっていた。
198824歳
東京ドームができた。屋根のある球場など、想像もつかなかった。 行こう行こうと言いながら、実際に入ったのは十年以上あとだ。そういうことばかりしている。
199329歳
妻がナタデココを買ってくるようになった。名前が覚えられなかった。 娘が生まれる前の年だ。台所で二人で食べていた、あの音だけ残っている。
二十代のころの写真(全12枚)




写真がない時期も、年と、そのときの気持ちだけで残せます。
1983年〜199430歳

みさきと名づけた
岬のように、まっすぐ前を向いていてほしいと思った。
抱いたとき、思ったより軽くて、こわかった。この子のために働くのだと、そのとき決めた。



はじめての誕生日/七五三/生まれた日
年ごとに分けて、いくらでも足していけます。
1994年2001 – 201537歳から51歳まで
気がついたら、ランドセルが振袖になっていた。
そのあいだのことは、写真のほうがよく覚えている。

入学式
仕事で行けなかった。妻が撮ってきた写真を、その晩何度も見た。

中学生
このころから、話しかけても「うん」しか返ってこなくなった。

成人式
朝早く、玄関の前で3人並んだ。いつのまにか、妻より背が高くなっていた。
お子さまの成長を、親の側から一冊にまとめられます。
2001年〜2015年201147歳

父の写真は、数えるほどしかない
自分の結婚式の日。父が写っている、数少ない一枚だ。
写真に写るのが嫌いな人だった。もっと撮っておけばよかったと、いまになって思う。
だから、自分の写真は残しておくことにした。

最後に交わしたことば
病室で、「めしは食ったか」と聞かれた。それが最後だった。あの人らしいと思う。
ここは、ご家族だけが見られる設定にしています。
2011年2020.0656歳
沖縄・家族だけの式
🔒 このページは、家族だけが見られます
8人だけの式だった
前の日の夜、荷物を詰めながら、この子が生まれた日のことを思い出していた。

支度のあいだ
妻がベールを直していた。わたしは何もできず、廊下に立っていた。

腕を組んで歩いた
泣くだろうと、みんなに言われていた。
泣いていない。たぶん。

うちの4人で
娘が家を出る日でもあった。この並びで写るのは、これが最後かもしれない。
お子さまのご結婚を、親の側から残しておけます。
2020年6月2022.1058歳

はじめて抱いた日
娘のときより、手が震えた。自分の子は必死で、こわがる余裕もなかったのだと思う。

「じいじ」と呼ばれた日
はっきりとは言えていない。「じーじ」に近い音だった。それでも、その日は一日じゅう機嫌がよかったらしい。

三人で撮ってもらった
娘が撮ってくれた一枚。自分がこんな顔で笑うとは、思っていなかった。
お孫さんの写真も、家族だけが見られる場所に。
2022年10月捨てられずに、とってあるもの
🔒 このページは、家族だけが見られます写真だけでなく、手元に残っている物も撮ってみた。
いつか処分するとしても、ここに残しておけば、それでいい気がする。

万年筆
勤めて10年目に、父からもらった。もう書けないが、机の引き出しに入っている。

工具箱
43年、同じものを使った。中身は何度も入れ替えたが、箱だけは変えていない。

表彰状
勤続30年。もらったときは、そんなに経ったのかと思った。

娘の写生画
小学2年生。我が家の車を描いたらしいが、いまだに何色なのか分からない。
お写真だけでなく、品物を撮って残すこともできます。
2026年8月自慢できることは、ひとつもない。大きな仕事もしていない。
ただ、朝に出て、夕方に帰ってくる。その生活を、43年続けることはできた。 休んだのは、娘が生まれた日と、父が亡くなった日だけだ。
支えてくれた妻には、感謝している。この人と結婚できたことが、いちばんの幸運だった。
やらなかったことも、書いておく。
海外には、とうとう一度も行かなかった。妻は行きたかったはずだが、聞かなかったことにしていた。
父に、ありがとうと言えなかった。言う機会は、いくらでもあった。
娘に、孫に、いつか言えたらと思っている。
たいしたことはしていない、と。
それどころか、二人のおかげで、何度も笑わせてもらった、と。
うちの子に生まれてきてくれて、ありがとう、と。
まだ言えていない。だから、ここに書いておく。
2026年 夏
写真だけでなく、ことばを残しておく場所も作れます。
2026年8月2026.0462歳
会社を辞めて、時間ができた。
押し入れの写真を出してみたら、思っていたより多くて、
このままでは誰も見ないまま終わると思った。

今年の正月
孫が、タブレットの写真ばかり見ていた。
押し入れの写真も、こうして見られたらいいと思った。

わたしにできるだろうか
パソコンは、表計算がやっと。正直、無理だろうと思っていた。
相談したら、写真を送るだけでいいという。押し入れのアルバムを、スマホで撮って送った。

いまは、見つけたら送っている
押し入れから写真が出てくるたびに、スマホで撮ってLINEで送る。数日後には、ページが増えている。
「送るだけでいい」と分かって、気が楽になった。
こんなふうに分けた
どなたでも見られるページ
旅と食べものの話は、
誰に見られても困らない。
家族だけのページ
合言葉を知っている人だけ
ページごとに、公開/家族だけを選べます。
お客様は、お写真を送っていただくだけです。
2026.0962歳
このサイトは、はじめから、みさきに渡すつもりで作っていた。

送った
送信を押すまでに、ずいぶんかかった。

みさきのほうでは
あとで、みさきの夫がこの写真を送ってくれた。見なかったことにしている。
その日のやりとり

「これ、だれ?」
孫が、白黒の赤ん坊を指さして聞いた。じいじだよ、と言ったら、笑われた。
これから先は、
みさきが写真をつなぐ。
我々のあと、
みさきの家族が受け継ぐ。
作ったサイトを、そのままご家族に渡せます。
同じURLで、家族みんなで見られます。
2012 –夫婦の趣味
十数年前から、夫婦で旅行に行くようになった。
いつからか、行ったことのない土地を選ぶようになり、
数か月先の出発の日を楽しみに、毎日を過ごすようになった。
娘が「沖縄で式を挙げたい」と言ったとき、本当にうれしかった。
白状すると、結婚する本人よりも、わたしのほうが沖縄を調べていたかもしれない。
よく撮れた5枚

2013 京都
人に撮ってもらった。二人とも、どこに立てばいいか分からなかった。

2018 山形
妻が「そこに立って」と言うので立った。寒かった。

2019 熊本
草原を歩いていたら、妻が腕につかまってきた。

2023 北海道
はじめて自分で撮った二人の写真。腕が短くて、顔が大きい。

2025 静岡
孫がついてきた。富士山より、孫ばかり撮っていた。
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塗ったのは 35 / 47
北海道・東北
関東
中部
近畿
中国・四国
九州・沖縄
帰ってきた晩に、ここをひとつ塗る。
それが楽しみで出かけているようなものだ。
塗る係は、妻がやりたがる。
行った先で

厳島神社(広島)
潮が引いていて、鳥居の下まで歩けた。妻が「ここまで来られるとは思わなかった」と、何度も振り返っていた。

五稜郭(北海道)
タワーに上らないと星の形が分からない、と言われて上った。本当に星だった。
食べたもの

ソーキそば(沖縄)
娘の式の前日、二人で入った店。妻は食べきれず、半分もらった。あの日のことは、この一杯で思い出せる。

ひつまぶし(愛知)
三杯目は出汁をかけると教わって、そのとおりにした。あれが、いちばんうまかった。
この10年の写真(全24枚)




塗り終わるころには、孫が塗る係をやりたがるかもしれない。
このページだけ、どなたでも見られる設定です。
ご趣味の記録は、公開なさる方が多くいらっしゃいます。
ここまでご覧いただいたページは、ミリサイトという仕組みで作った見本です。
登場する人物・写真は、すべて架空のものです。
62年分の記録が、1ページに並んでいました。
押し入れの箱の中では、こうはいきません。
この見本では、旅行とグルメのページだけを公開し、
残りの11ページは家族だけが見られる設定にしています。
よくあるご質問
ミリサイト
大切なものをしまっておく場所
まずはお写真50枚から。
29,800円(税込・買い切り)
月々の費用は、かかりません
10:00〜17:00(土日祝は13:00まで)